第2回 桜門卓話会「ユニバァサル設計の生い立ち」

1.主題 「ユニバァサル設計の生い立ち」

2.出席者(順不同,敬称略)
  卓話(話題提供者)
    株式会社ユニバァサル設計:会長 西倉 努
    株式会社ユニバァサル設計:副会長 名和 健一
    株式会社ユニバァサル設計:社長 西倉 哲夫
  桜門工業クラブ
    西倉 努 副理事長(卓話者), 島 雅裕 事務局長,
    平 一暁 広報委員長,花田 理 常任理事, 朝倉 浩樹 常任理事
    大久保 通則 副理事長(司会)

3.開催日 令和2年(2020年)2月6日(木) 午後

4.開催場所 株式会社ユニバァサル設計 東京本部
  〒108-0075 東京港区港南2-12-23 明産高浜ビル

【第2回桜門卓話会】
5.参考
  創立者 師橋 孝の経歴紹介
    大正15年旭川市生まれ
    昭和22年日大専門部建築学科卒業
    同年   成松勇建築設計事務所入所
    昭和23年熊谷組入社
    昭和36年ユニバァサル建築設計事務所設立
    平成6年 没 享年68歳
  西倉 努の経歴紹介
    昭和23年東京都生まれ
    昭和45年3月 日本大学工学部建築学科卒業
   職   歴
    昭和45年 4月 株式会社ユニバァサル設計事務所 入社
    昭和49年 4月 同            取締役東京事務所長就任
    昭和56年 4月 株式会社ユニバァサル設計 代表取締役副社長就任
    平成 4年11月 同            代表取締役社長就任
    平成23年 4月 同            代表取締役会長就任
   賞   罰
    昭和59年 5月 社団法人東京建築士会懸賞設計競技 優秀賞
    平成 3年 9月 かながわ建築コンクール 優秀賞
    平成 4年10月 財団法人文教施設協会 会長賞
    平成11年 7月 社団法人日本建築BE工業協会 功労者表彰
    平成11年 9月 川越市 建築設計競技優秀賞
    平成24年10月 東京都 功労者表彰
    平成27年 2月 神奈川県 優良産業人表彰
    平成27年11月 相模原市 産業振興発展表彰
    平成30年 5月 東京都都市整備局長 感謝状
    令和元年 11月 日本商工会議所 感謝状
   公 職 歴
    一般社団法人東京都建築士事務所協会 相談役(元会長代行)
    一般社団法人港区建築設計事務所協会 特別会員(元代表理事)
    一般社団法人国際医療健康福祉協会 代表理事
    相模原市設計協同組合 相談役・監事(元理事長)
    神奈川県設計協同組合連合会 相談役
    相模原商工会議所 名誉副会頭
6.卓話会の要旨

(司会)
 本日はお忙しいところ、第2回桜門工業クラブ卓話会にご参集を頂きましてありがとうございます。桜門工業クラブと桜門技術士会の新年賀詞交換会におきまして大内理事長から、令和2年(2020庚子)はオリンピックイヤーであるというご挨拶を頂きました。そして、新たな展開が期待される年であると感じております。大内理事長のお話の中からは、スポーツを通じて自己研鑽を積み人生を豊かにするというお考えが伝わってまいります。卓話会の方針につきましても多くのご教導とご示唆を賜っております。なお大内理事長から、所用のため本日の都合がつかず皆様によろしくお伝え頂きたいとのメッセージを頂戴しております。最初に、島事務局長よりご挨拶をお願いいたします。

(島事務局長)
 事務局を担当しております島です。本日は、西倉会長より第2回桜門卓話会のために、趣のある居住空間デザインに富むユニバァサル設計東京本部の役員室を提供して頂きましてありがとうございます。西倉社長のお名刺には「おかげさまで59周年」の表記があり,60周年に向けての気骨が感じられます。さらに名和副会長のお名刺より「国際医療健康福祉協会」事務局長としてのご活躍の佇まいが想像され、かねてよりご交誼をいただいている一人として、名和先輩の逞しさを感じているところです。本日は、企業の創立、成長、伝承、人脈などにつきまして、卒業生のみならず、変革している時代を開拓している学生の皆様にも参考となる議論を期待しております。卓話会は、皆様の貴重なお時間を頂いております。この企画は、電話やメールではなく、直接人と会い議論を深掘りして、桜門人としての自己を高めていくという考え方があります。本日はよろしくお願いいたします。

(1) 卓話 西倉 努 様 名和 健一様 西倉 哲夫様

① 西倉努と師橋孝(創立者)の出会い

 私は昭和45年(1970年)3月に日本大学工学部建築学科を卒業し、同年4月に現在の株式会社ユニバァサル設計に入社しました。在学生へのメッセージにも書きましたが、昭和43年から44年にかけて学生紛争があり母校も閉鎖状態でした。たまにある授業は市中の銀行会議室だったりしたものです。よって、私たちはあまり勉強せずに卒業した気がしております。入学当時は450人ほどいた学生も卒業時には300数十名まで減っておりました。

 そのような中、私は最終の4年生になりそれまで取得しなければならない教科単位をやっと取得して卒業論文(福祉施設の調査研究)のまとめのみを残しておりました。しかし、担当教授の国分先生の指導は大変厳しくなかなか合格を出してもらえない状況が卒業式まで続きました。そのような中で就職活動を進めており、建築設計を希望しておりましたので第1志望がアトリエ設計事務所、第2志望はゼネコン設計部で第3志望は当時あまり人気がなかった官公庁でした。そこで、就職担当の倉田先生に相談したところ同じ構造系の師橋雄二先生を紹介されました。師橋雄二先生には構造力学の講義を受けたり、父が父兄面談でお世話になったりしておりましたので率直にアトリエ事務所を希望している旨告げました。すると、先生の実兄が相模原で建築設計事務所をやっているので行ってみないかとのこと、面接を受けて同級生4名とあっさり採用されました。

 昭和45年当時のユニバァサル設計事務所は創立9年目で所員が6名ほどの小規模な事務所でした。創立者の師橋孝は北海道旭川の出身で日本大学専門部工科建築学科を卒業し、建築事務所を経て熊谷組に約10年在籍し当時無かった建築設計部を立ち上げたそうです。そして、米軍の仕事で相模原に出向しその地において昭和36年に一人で独立しました。昭和39年の東京オリンピック前の好景気に合わせて東京市谷の田中土建ビルに東京事務所を開設し、仕事が多くあり所員も増やして規模を拡大したそうですが、オリンピック後の不況に会い相模原に戻り縮小して個人住宅設計が中心の仕事をしておりました。

 しかし、師橋孝はゼネコン設計部にいた経験から設計者の第三者性と独立性を唱え業界活動に力を入れました。建築士事務所協会連合会の前身である全国事務所協会連合会において『建築士事務所の業法』設立の運動や、地域の中小事務所の育成のための協同組合設立などに尽力しました。特に、神奈川県においては横浜、川崎、相模原、藤沢、横須賀など各地に設計事務所の協同組合を作り、全国に先駆けて神奈川県設計協同組合連合会を設立しその中心人物として活躍しました。

 そうした中で、事務所も順調に成長して仕事の種類も小規模の民間物件中心から官公庁発注物件の受注を目指し拡大していきました。まずは相模原市において人口増加に伴い小中学校の増設が相次ぎ数多くの受注を確保することができました。また、神奈川県においても高校100校計画のもと特命やプロポーザルにより県央方面の数校を受注できました。このように仕事も増え所員も増えましたが、急成長のため管理職が足りません。私たち同期も入社5年目を迎えるころには5名みな建築士の資格を取得しました。そうすると優秀な人から独立したり、地方から出てきた人は実家に帰って家業の後を継いだりと歯が抜けたようにいなくなりました。6名いた先輩たちも同様です。気が付いたら私がナンバー3となっていました。

 創立者には娘が3人おりましたが、まだ年少で後継ぎにできず社内から後継者を選ぼうとしておりました。社名も個人名にせず規模の大きい名の『ユニバァサル(宇宙)』と命名したのも組織事務所を目指したからだそうです。そんなわけで、私は入社5年目にして当時新橋にあった弊社東京事務所の取締役所長に就任しました。そして、入社11年目に代表取締役副社長に任命されました。この間の創立者による帝王学の教えは凄まじいものがありました。別添した資料にあるように創立者が自ら苦労をして学んだ事柄を詳細にまとめて私たちを教育しました。人の人生には限りがあり、組織は永遠であるとの信念に裏ずけられた行動でした。昭和52年に入社した弟で現代表取締役社長の西倉哲夫共々肝に銘じて現在に至っております。

 ここで、少し西倉哲夫に触れておきます。東海大学建築学科を卒業とともに意匠設計者として弊社に入社しましたが、確か3年ほどのちに社命で構造設計室には転属させられました。当時の神奈川県は県有施設の建築物耐震診断を全国に先駆けて実施しておりました。弊社もそれらの業務が繁忙だったため構造設計室を充実する必要に迫られてそのような人事になりました。しかし、当人は不満も言わず社命に従い現在に至っております。今になって考えますと、弊社が意匠設計だけでなく耐震診断業務をはじめ構造設計業務を積極的にこなしたしたお陰で、設備設計も含めた現在の総合事務所の形態が出来上がったものと思い感謝しております。

 このように、創立者の師橋孝との出会いは日本大学との出会いであり、恩師の師橋雄二先生との出会いであります。『縁は異なもの』といいますが『異』とは『特に際立っている』とか『不思議である』と解釈されておりますので大切なものと思っています。今、弊社に所属している社員の皆様もこのような縁で結ばれた方々だと思い大切にして、社員全員の自己実現に寄与し発展できる事務所にしたいと祈念し結びにしたいと思います。

② 桜門工業クラブとの出会い

 桜門工業クラブの創設は元クラブ理事の林満寿雄氏のクラブ創立30周年記念誌記事によれば、当時、理工学部校友会に談話室ができ更に多少の飲食を伴うクラブ様式にできないか検討されたが、校友会の規約を改正してもそれは難しく別組織で立ち上げる方向となり、昭和47年7月に規約原案が策定され、翌昭和48年2月設立総会が行われ創設されたと聞いております。

 初代理事長は現株式会社フジタの創業家出身の藤田一暁氏です。大正9年生まれで昭和18年日本大学旧制工学部建築学科を卒業され旧藤田組に入社され昭和37年に旧株式会社フジタ工業社長に就任された方です。創設時のクラブの事務局は旧修養団ビル最上階にありました。会員は日本大学出身の建築、土木、電気、機械、薬学などの工学系学部卒業生で官公庁は部長以上の役職の方で民会会社は役員クラス以上の方々が対象でした。政治家も多数参加されており印象残っておるのが、梶山静六さんや河本敏夫さんなどの大物が総会や新年会に顔を見せていたことです。

 そのような中、わが創立者の師橋孝は大学の先輩である藤田一暁氏を慕いクラブ創立時から参加しておりました。私も師橋のカバン持ちで若い時から時おり普通では参加できない会合やパーティに顔を出させてもらいました。正会員の資格が厳しく会費は入会金も含めて給料の数倍であったのを記憶しております。会員の中に建築設計関係の先輩が数多くおり、中でも伊藤喜三郎さん(大正3年生まれで昭和13年に日本大学旧制工学部建築科卒を卒業し大成建設などを経て伊藤喜三郎建築研究所設立し、後に東京都建築士事務所協会会長就任)や高橋武士さん(大正15年生まれで昭和22年日本大学旧制専門部建築学科を卒業しアントニン・レーモンド事務所を経て建築モード研究所を設立)はとりわけ薫陶を受けた大先輩でした。

 また、歴代の事務局長はフジタさんの社員が出向されており、クラブの会務執行に多大なる貢献をされてきました。私はそれぞれの事務局長に大変お世話になりご指導いただいてきましたが、とりわけお世話になったのは、確か3代目か4代目の有馬賢(ありま まさる)さんです。今から20年ほど前になりますが、私がクラブの広報委員長時代にともにクラブの活動に参加してクラブの活性化に公私共々尽力したのを懐かしく思い出します。有馬氏は発展途上にある弊社を心配して有能な人材を数多く紹介いただきました。日本大学卒業生の建築設計者で意匠系、構造系、設備系を問わず即戦力になる方がたを弊社に加入していてだき現在の組織の原型を創ることができました。

 その中でもとりわけ有難がたかったのは現弊社取締役副会長の名和健一さんを紹介していただいたことです。名和さんは株式会社フジタの設計センターを立ち上げ後にセンター長の任につき各子会社の社長職を経て平成24年から弊社の経営トップの一員として尽力を頂いております。偶然にも私と同じ年に日本大学理工学部建築学科を卒業し、同年当時の株式会社フジタ工業に入社されました。そして、これも偶然ですが結婚式も私と同じ日にされたそうです。その日は旧国鉄労働組合のストがあり式に参加できない方々もおり、それが話題でそのことが判明いたしました。

 このように、前項でも述べましたが『縁は異なもの』であります。日本大学を卒業したことで、恩師に出会い、職場に恵まれて今日に至っております。そして、桜門工業クラブに出会い幾多の『縁』に出会い人として成長させていただきました。感謝の念に堪えません。

③在学生へのメッセージ

●はじめに
 私も学生の頃は建築の学業習得にだけ務めていましたが、実業社会に入り段々と実務の厳しさがわかり、その対応に苦慮したものです。また、学校では習得しにくい職場の人間関係のことや事業経営のことなどは学生時代には関知しない事柄ばかりです。私が以前に弊社の入社式などで述べたことですが、『新入社員の皆さんはこれまでお金を払って勉強してきましたが、本日からはお金をもらって仕事をする立場です。これまでと180度違うのです。』と言ってきました。これは非常に厳しい言い方ですが現実です。

 そして、入社を前提に会社を選ぶときは一番景気の良くない会社や業種を選びなさいと言います。これは経済界のことわざですが30、40年経つと世界経済の環境が変わり景気の良くなかったところが時代の先端を走ることもあります。このように、私たちは就活時には『先を見る目』が必要です。

 また、私は縁があって弊社に就職しました。小規模な創立10年ほどの建築設計事務所でした。創立者の努力により事務所は発展し私も少しずつ役職が上がり入社数年で経営者の一員になりました。このように建築設計者として入社した者が図らずも経営に携わることになりました。皆様も是非このことをお知り頂き就活していただきたいと思います。

 ここから『世界情勢の変化』、『価値観の転換』、『日本の再生』を俯瞰しながら末尾で皆様へのメッセージをまとめさせていただきます。

●世界情勢の変化

 現在の世界政治情勢を分析すると、第二次世界大戦後にイランを牛耳るイギリスとサウジアラビアを手にしたアメリカが中心となってソビエトとの冷戦時代がありました。その冷戦終結後の世界は中東がアルカイダを含むイスラムの反米勢力との戦いの場となりました。そして、エジプトは革命後、ソビエト崩壊後のロシアとの同盟体制を強化したがアメリカがロシアを追い払いました。やがてイランが人民革命に成功し、パキスタンは独自の核兵器をつくり、アメリカによるイラク戦争、アフガニスタン戦争が起こりました。そして、中国の国力向上によりアメリカと対立し新しい冷戦がはじまりかけて今日に至っています。

 そうしたなかで、アメリカは天然ガスと原子力発電によるエネルギーの増産とシェールガス開発により中東の石油を必要としなくなっています。また、石油帝国の位置が揺るがなかったサウジアラビアの油田が老朽化するなど、OPECを中心とする中東の石油カルテルの世界に対する影響力が弱くなっています。しかし、中国やインド、日本が依然として中東の石油を必要としているため、世界の軍事的安定の要になっているアメリカの中東離れによって世界情勢がますます複雑化してきています。

 アメリカ軍の撤退によって中東に力の真空状態が起きれば、中国、日本そしてヨーロッパの国々は独自の軍事力で中東における国家利益を追求しなくてはならず、混乱が起き戦争の危険性が高まります。日本は中東で石油を確保し,安全に持ち帰る能力が必要になります。この能力とは核兵器をも含めた軍事力と政治力です。核戦争を引き起こさない範囲で自国の利益を守ろうとすると軍事力の極限として核兵器が必要になります。先進諸国が核兵器を所有していることと、韓国や台湾、ベトナム、シンガポールなどの国々が世界の一流プレーアーと見なされないのはそのためです。日本は日米安保条約でアメリカの核に頼っていますが、今やその立場は不明確になりつつあります。

●価値観の転換

 一方、地球環境問題は20世紀半ばに、アメリカの生物学者であるレイチェル・ルイーズ・カーソンが【農薬の化学物質による環境破壊問題】を提起して環境保護運動の発端を作りました。また、21世紀に入り、同じアメリカのゴア副大統領が【CO2排出による地球温暖化問題】を取り上げ国際社会に警鐘を鳴らしました。このことが重要なのは、産業革命以来の西洋社会が先導してきた経済優先社会だけでは人類の発展は望めず、環境汚染により地球に住み続ける事が難しくなることを早く改めることにあります。

 経済優先社会では人々の要求は無限大になりいずれ限界になります。物質的な豊かさだけでは人々は幸福に成れません。それには、地球環境を保全し、人々が安心して暮らせる持続可能な社会を創造することが重要です。また、グローバリゼーションというスローガンのもとで、アメリカや日本などの先進諸国は中国や東南アジアをはじめとした労働力の安い新興国で工場をつくり、自国で開発した技術により生産した安い製品を自国で売ってきました。しかし、新興国の賃金も上がり、技術革新の速度も驚くほど速くなり、新製品開発の速度が上がる時代では、このようなシステムは通じなくなりました。今、アメリカや日本で起きている現象はまさにグローバリゼーションの終焉であります。賃金が安いからと世界中の未開発地域に出掛けて行く時代は終わったのです。先進国の産業界にとっては新しい時代が始まり、中国に代表される新興国にとっては難しい時代の始まりといえます。

●日本の再生と弊社の進むべき方向

 日本の再生のために安倍政権の三本の矢は『金融緩和』、『財政出動』、『成長戦略』であります。一本目の『金融緩和』は景気刺激策として日銀の当座預金残高を拡大し、短期金利を引き下げて市中への資金供給量を増やし経済の活性化を促進することにあります。二本目の『財政出動』は税金や国債などの財政資金を公共事業などに投資し、公的需要を増加させGDPや民間消費の増加促進を計ることにあります。三本目の『成長戦略』においての戦略はイゴール・アンゾフの【成長マトリックス経営論】に基づき業界ごとの参入規制を撤廃して新たな成長市場を創造し、そこに生産要素の移転がスムーズに進むようにすることです。しかし、安倍政権も長期化してその政策にも陰りが見えてきました。

 そこで、弊社社の進むべき方向の三本の矢は『資質の向上』、『安定顧客の確保』、『異業種と協働』と考えます。一本目の『資質の向上』は、今日では建築における【環境の専門家】の存在は増すばかりであります。そして、IT技術の進化により設計ではCADから【BIM】へ変化し、建築生産では新しい生産技術である【デジタル・ファブリケーション】が存在感を高めています。このように時代の変革に伴い建築を取り巻く環境が変化する時に私たちは、常に【基本理念】に立ち返り自己研鑽に努める事が求められています。二本目の『安定顧客の確保』とは建築設計事務所の経営はいわゆる受注産業で、よく『水商売』と同じと言われるが、その経営を安定させるにはPFI事業などに積極的に参加することと継続的に受注できる顧客の確保が重要です。三本目の『異業種と協働』は、今では超高層建築や高度な複合建築の出現や建設事業手法な多角化により建築設計者は構造・設備の技術者や多くの専門家とのコラボレーションが日常化し、その立ち位置も変化しています。そのような状況下で今後は積極的に広範な異業種とのコラボレーションを進める必要があると思います。

●メッセージのまとめ

 私は冒頭に述べましたが縁があって弊社に就職しました。日本大学工学部建築学科4年生の夏休みを過ぎてから初めて就職活動をしました。それは当時、学生運動により母校も私が3年生から4年半ばまで閉鎖されており勉学も就活も学内では出来なったからです。当時就職担当の倉田先生(ご次男が同級生)に相談したら師橋雄二先生(構造力学)紹介されました。師橋先生の実兄が相模原で建築設計事務所をしているとのことで面接いただき即採用されました。後で聞いた話ですが、当時の弊社はとても繁忙で同時に採用された同級生3名が卒業式後の3月からアルバイトで就業していたそうです。私は卒業論文を担当教授がなかなか受領してくれず3月30日にやっと卒業でき4月1日から就業できました。このように一番できの悪い卒業生が現在、弊社の代表となっていることを皆様にお伝えします。

(2) 経営者の心構え(先人の言葉) 創立者 師橋孝様 収録

現在の仕事は自分の生涯の仕事とするに足りるかどうか。もし、生涯の仕事とするに足りうると思わなければ、出来るだけそれを生涯の仕事に足りるように研究し、正しい工夫と努力とを要する。【松下幸之助】

もう一遍元に戻って見直すのは、むしろ時間の浪費であり、それよりもこの道で光明を見出そうと頑張った方がいい。【同】

転職を考えるより、むしろそれを工夫して、努力して、生涯の仕事とするに足りるところまで、つまり転職という域まで持って上がった方がいい。【安岡正篤(まさとし)明治の陽明学者】

『甘受』と『感謝』、これが人生を渡る秘訣である。(中村天風〈明治陸軍の軍事探偵〉)

蒔いた種の通りに花が咲く。【同】

『感謝』と『歓喜』。どんなことがあっても、私は喜びだ、感謝だ、笑いだ、雀(こ)躍りだと、勇ましく溌刺と人生の一切に勇往邁進しよう。【同】

心というものは、万物を生み出す宇宙本体の有する無限の力を、自分の生命の中へ受け入れるパイプである。パイプに穴が開いていたら漏れてしまいます。だから、そっぽを向いていては何にもならない。【同】

人生における修業とは、この泰然不動の自分を作り上げることにあると言える。泰然不動の自分を確保するためには、独り静かに坐って心を澄まし、瞑想することだ。【同】

人生はすべて平等だ。【同】

陰徳(人知れず行う善行)を積む。【同】

人間はどうしても目の前で展開する出来事に引き摺り回され、悩んでしまう。確かに現象は非現実的な様相を呈しているかもしれない。だが、瞑想が深まり宇宙霊と一体感が深まると、『自分の人生は導かれている』、『かならず花開き実を結ぶようになる』、『これ以上悪くなりっこない』、『全てはそこに至る一里塚かなんだ』という確固不動の信念が育ってくる。そうなると人間は強い。少々のことがあっても信念はゆすぶられない。全て受けて立つことが出来るようになり、自分の人生の主人公になっていけるのだ。【同】

人生は心一つの置きどころ。【同】

人生において起きる出来事は全て意味がある事がわかる。人の目には不利に見えることでもそれは意味があって起きているのだ。だから自分が置かれた状況に不平を抱かず、受け入れそこで最善を尽くすのだ。するとすべての事が肥やしとなって、益々人物が出来上がっていくのだ。【同】

どんな人間にも遣るべき使命があってこの地上に送られてきている。そしてそれを実現するために、それぞれ方法論が与えられている。学生時代に勉強したからとか、少し成績が良かったとか、親に財産があったからとか、そんなことで決まってしまうほどに人間は単純なものではない。人間に与えられている可能性は驚くべきものだ。【同】

最初からプロという人は一人もいない。【中山素平(元経済同友会代表幹事)】

人生の分かれ道は、覚悟が決まっているかどうかである。【同】

人間は自分自身の意志と力によってこの地上に生まれてきたのではなく、絶大無限なる宇宙生命によって地上に生を与えられたのである。【森 信三(哲学者)】

自分という存在は『大いなる存在』の現われとして地上に現われている。だからこの人生を取りこぼしてはならないのだ。期待されている以上のことを実現してこの人生を終わるのだ。【同】

(3) 経営者の心構え 創立者 師橋孝様

経営者は先ずは苦労多き経営に生き甲斐を見出しうるかどうかが重要である。

経営者はしっかりした経営観,人生観が無いとダメである。

何のためにこの経営を行っていくかという経営理念が必要である。

経営者には『真理』、『社会の理法』、『自然の摂理』、『正しい人間観、社会観』を持つことが必要である。

経営には『これこそが正しい』と自分なりに信じうる方向性と常に正しい事をやっているという自覚が必要である。千万人といえども我往かん。

いちばんの情報は人に有り。

何か真剣になって勉強している時は、何千札並んでいても必要な書物が必ずぱっと眼にはいる。

およそ何事も、事に当たって大事なのは『自らの思い』である。

所員を幸せにするには『第一が経済』、『第二が誇り』、『第三が将来性』である。

より良いものをより安くどう創りどう売るか。

困難な状況を逆転させるには、勇気を奮い常識の限界を超えて思い切った処置を取る必要がある。

5%のコストダウンより30%下げる方が容易である。発想を根本的に転換する。

誰もが手掛けていない分野を開拓する。

強い思いと意欲を持ち寝食を忘れ、時間を超越した本物の一所懸命が必要である。

ある種の能力があって、ひたすら目的に向かってそればかり考えて居れば、いつかは花開く時が来る。

企業としての将来構想、ビジョン、さらに我が社は何のために存在するのか、どの様に経営して行くのか明確にする。

『何とかしようぜ、何とかなるはずだ、何とかしてみせる』という、一分の可能性も決して捨てない楽観性がとりわけ大事である。

会社が苦しい時『お前立ち頑張ってくれよ』という経営者は不合格。『俺のまねをしてくれ』という経営者ならその会社は立ち直れる。

本当に困った時は銀行よりも自分の社員を信頼せよ。社員こそ資産だ。客に喜ばれる企業は絶対につぶれない。客を中心に考える事は、すなわち企業のため社員のために成る。社員を信頼し社会から信頼されることが成功につながる。

不況は新しい種まきをする絶好の機会である。

人材は仕事が旨くいかない困難な時にかえって成長するものである。

腹を決め成すべきことを成す。

己を空しくして素直な心を養う。

頼れるのは自分のみである。腹を決め目の前の個々の問題に一つ一つ対処していくことである。

目先のことに終始しているだけでは先の展望は開けない。眼前の問題に対処していくことと併せて、所員に将来をきちっと展望して見せ、長期的に自分たちの会社がどういう方向に進もうとしているのかを示して、全社その目標に向わしめることが必要である。

 

(4) 事務所の経営【企業は人なり】西倉 努 会長

A 〔事務所は経営者の考え方ひとつ〕
  ①.事務所が安定しないのは『社風』に問題あり.
    * 所員の心に影響を及ぼしているのは経営者の言動である.
  ②.所長がワンマンの場合.
    * 所内組織はイエスマンの集合体である.
    * 所長は社員の心理が読めず,若い所員の成長に不満を感じる.
    * 中小企業は『社長次第』である.
B 〔人の活用と社内の人材分布〕
  ①.『人財』キーマンで事務所にとって必要な人.・・・20%
  ②.『人在』事務所に存在しているだけの人.・・・60%
  ③.『人罪』能力は有るけど悪影響を与える人.物静かだけど能力の無い人.・・・20%
C 〔経営問題の解決には『社風診断』が必要〕
  ①.短中期の目標,方針,理念について所員は理解しているか,理解させる努力をしているか.
  ②.職場環境の改善目標について所員,経営者ともに共通性を感じているか.
  ③.事務所への誇りを経営者ほどに所員は持っているか.
D 〔職場環境の改善には『目標意識』を持つことが大切〕
  ①.経営者自身も将来について悩んでおり,はっきりとした目標を出せず,所員も目標を失っている.
  ②.方針,目標,夢などが明確でないため現状からの脱皮が出来ない.
  ③.所員は漠然とした環境の中で仕事をしているので,自身の仕事の位置付けや事務所への期待が薄れて誇りを持てない.
  ④.トップと所員に意識の開きがあり意思疎通が計れない.
E 〔事務所に必要な社風とは〕
  ①.方針を明らかにする.
  ②.技術教育以外に自己成長のための教育制度が必要.
  ③.サービス業との意識改革が必要.
  ④.目標達成意識(営業意識)を持たせる.
F 〔企業は人なり』のまとめ〕
  ①.所長は技術者上がりが多いが所員を抱え給料を払っていく『経営者』の自覚が必要.
  ②.経営者は社風を作り,その診断が必要である.
  ③.人の集合体が組織である.
  ④.『事務所の社風』技術屋のなかにも経営を知りまとめられる人が必要.
  ⑤.方針書,教育,サービス業意識,目標達成意欲などを身につけ差別化を図る.

 

(5) フリートーキング

(司会)
 第2回目の桜門卓話会の開催にあたり、事前に西倉様からとてもインパクトのある貴重な企画内容を拝受しまして、今後の卓話会の基本路線のご示唆を頂きましたことに感謝いたします。島事務局長の卓話会の第1回からの企画には、直接人と会い胸襟を開いて、自己を高めていくという考え方があります。これからフリートーキングと称しまして、自由なコメントを頂戴いたしたいと存じます。ホームページには、その概要を記載させて頂きたいと考えております。

【フリートーキング】

*創立者の師橋孝様のまとめられた経営者の心構えからは、貴重な示唆をいただきました。特に、安岡正篤先生や中村天風先生からは普遍的な教えがあると考えます。拝聴した我々は、これを実践することは至難の業ですが精進したいと考えております。なお、多くのリーダのお考えには「貞観政要」のエキスが含有している感じが致します。

*一般論として、企業には多様な人材が必要とされます。しかし、企業活動においてはベクトルが合わない少数の人材がおり、最初の影響は少なくとも、時間と環境の変化によりマイナス面が多くなることがあります。企業のリーダとしては頭が痛い問題であります。

*進むべき方向として「資質の向上」、「安定顧客の確保」、「異業種と協働」からは、企業成長の種があり、たいへん参考なりました。さらにご家族様の理解と支援にも敬服いたします。

*企業の仕組みとして、顧客対応は万全を尽くす必要があります。対企業との打ち合わせにおいても、コストがかかりますが複数体制で交渉等に誠意をもって対応されている社風がとても参考になりました。さらに顧客対応に関する議事録の重要性や適格な報連相の習慣も感心いたしました。

(司会)
 さて、お時間になりましたので、閉会の挨拶を花田常任理事よりお願いします。

(花田常任理事)
 本日はかなり広い分野の卓話を拝聴させて頂きましてありがとうございました。特に、西倉会長を始め皆様より、経営者としての要諦を学びました。そして直接お聞きすることの重要性を再認識いたしました。さらに、由緒ある桜門工業クラブを盛り立てていきたいと考えております。これにてお開きといたします。ありがとうございました。